池田山は、江戸時代には、備前岡山藩藩主池田家の下屋敷があったところであり、以降も池田氏の屋敷として使われていました。その後、昭和初期に分譲開発され、旧三菱・三井財閥の重役等の邸宅が立ち並ぶ、山の手有数の高級住宅地として知られるようになりました。そのなかの邸宅のひとつに、美智子皇后の実家である正田家の邸宅がありましたが、現在は建物はなく跡地は「ねむの木の庭」という、四季の花々を楽しむ区立公園になって一般に公開されています。また池田家下屋敷跡の奥庭の部分を整備した「池田山公園」は、都内でも有数の池泉回遊式庭園となっており、「ねむの木の庭」と共に、近隣住民だけでなく、多くの人々の憩いの場となっています。池田山は、その閑静な住宅地の環境の維持が、東京都民からも求められている地区なのです。
池田山公園 | 旧正田邸 | ねむの木の庭 | ||
そのような環境がこれまで保たれてきたひとつの理由は、池田山が文字通り「山」であったことです。JR五反田駅周辺はすでにオフィスビルが林立する商業地域となっていますが、そこから高低差20メートルの坂をあがっていかなければならない池田山地区は、ある意味、駅前開発から取り残されてきた場所ということができます。しかしその結果として、戦前からの良好な住宅地が維持されることになりました。
池田山内へのアクセス道路は限られています。5本の内4本はいずれも急な坂道で、五反田方面から来る車は、その内の1本に集中します。目黒方面からの1本は坂道ではありませんが、道路幅が狭いところに人や車がせめぎあって、朝夕の通勤時には通行に困難をきたします。特に近年は、カーナビの利用で通り抜け車両が増加し、交通問題が起こっています。現在計画されている夢工房の保育所も問題となっています。100人のゼロ歳から5歳までの乳幼児を、毎朝夕、急坂を徒歩で通園させるのには無理があり、どうしても電動アシストの自転車か車に頼ることになります。その中で特に問題となるのは自転車で、坂道を乳幼児を乗せて上がり降りするわけなので、不安定さは免れません。また自動車通園は断っていると夢工房は言いますが、現実にそれが守られる保証は全くなく、違法な路上駐車が日常化することが目に見えています。
(参考資料をご覧ください:池田山へのアクセス道路、目黒と日吉の保育園)
このように、近年の住環境の変化のスピードは激しく、私たちは地区の将来像のコンセンサスを住民の間で醸成しつつ、新たな開発に対応しなければなくなりました。私たちはどんな変化も許さないという教条主義的な態度は取りません。池田山の目に見えない資産である「閑静さ」を失わず、いかに時代に合った変化とすべきか、30年後50年後の池田山の将来像を描きながら、現実の問題の解決を図ります。外圧に対する受け身の姿勢ではない自発的な活動が、今、私たち住民には求められています。
そのために、積極的に自主セミナーを開催し、住民自身が池田山の将来像を身近な問題として捉えられるような手がかりをつくっていきたいと思います。例えば、高齢者医療の専門家、介護や保育の専門家、都市型防災の専門家、建築計画の専門家、さらに社会学者、社会経済学者などを招いて、幅広い知識や情報が得られる場を設定することを考えています。